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広まった理由1.火鉢という存在


信楽焼は、古くは千利休が種壺に茶道での価値観を見出し「わび」「さび」の世界観で、愛好家を輩出したが、爆発的に広まったのが、第二次世界大戦後の庶民生活の暖房具としての火鉢である。

信楽の陶器卸商人が、全国各地を歩き駆け巡り、需要をとりつけ、陶器の産地・火鉢の産地としての信楽の名を全国に知らしめることに。その功績もあり当時は国内生産高の90%を信楽焼が占めていました。



広まった理由2.昭和天皇


昭和天皇の全国巡幸の一環として、昭和26年信楽をご訪問なされ、日の丸の国旗を持った狸の置物がお出迎えをさせて頂いたことが、ご縁となり、狸の置物が有名になり新聞紙面にも取り上げられ全国に知れ渡ることとなりました。

二回目のご巡幸は、昭和50年にご訪問なされ、皇后陛下が蛙の置物がお気に召されて、お持ち帰りになったことで、蛙の置物もブームにも!
まさに昭和天皇のご訪問が、信楽焼を認知させる大きな力になったことには間違いありません。


広まった理由3.現代の広まり方。


平成にはいってからは、セラミッアート祭りや平成19年に、平成天皇が、信楽の地をご訪問なされ、時代を反映して今度は、新たにフクロウの置物がニューフェイスとしてお出迎えさせていただき、TVで全国放映され、いまや日本国内にとどまらず、世界的にも知れ渡り、幸福を運ぶ鳥として、珍重され、外国の人の訪問も多く来町されるようになった。

また信楽という町自体が“おもてなし”の心が根付いており、観光地としても確立できていることはこれから信楽焼を広める為にも大きな要因となっています。